「むかし」を知れば、「いま」のまちの魅力がもっとわかる!
北仙台エリアには、多種多様なお店が存在しています。そのどれも個性的で魅力的なお店ばかり。
たくさんの人が訪れる北仙台商店会の魅力を、北仙台や仙台浅草の歴史を繙きながらご紹介いたします。
北仙台の「いま」と「むかし」
情緒ある北仙台駅を筆頭に、
「むかし」からの趣を残した風景が広がっています。
北仙台とは、宮城県仙台市青葉区にある、北仙台駅を中心としたエリアのことです。地名として「北仙台」という名前はありません。
この北仙台駅が開業したのは、1929年(昭和4年)。場所は、当時の宮城県七北村に設置されました。そこから、1987年(昭和62年)に東日本旅客鉄道の駅となり、同年に仙台市営地下鉄南北線の北仙台駅が開業しました。北仙台駅は何度か改装を経ているものの、そのモダンで趣のある姿は、開業時から変わらないままです。現在では、北仙台駅の周辺に高層マンションが並ぶようになり、多くの人が行き交っています。
北仙台エリアも東日本大震災の被害を受けて、一度は活気を失いつつありました。しかし、その震災を転機にまちに訪れる若者が増え、現在はかつてのにぎわいを取り戻しています。
北仙台商店会としてもまちのにぎわいを後押しするために、夏祭りやフリーマーケットといった行事を主催しています。地域住民だけではなく、ほかの土地から訪れた人も楽しめるようなアットホームな雰囲気も、北仙台エリアの良さです。
昭和の面影をいまに伝える
「仙台浅草」の歩み
昭和の名残を刻む飲食店が中心だった、約30店舗が軒を連ねる横丁。
「仙台浅草」は、JR北仙台駅の南側にある、東西約100メートルの横丁です。仙台浅草には、通りを挟んで二軒ある長屋に、飲食店をはじめ、洋菓子店や八百屋、鮮魚店などの約30店舗が軒を連ねています。
仙台浅草の前身は、1958年に誕生した北仙台駅前交易センターです。当時、北仙台駅は仙台市電北仙台線の終着駅で、多くの方が日用品市場だった北仙台駅前交易センターに訪れていました。そして、東京・浅草にあやかりたいとの願いから、「仙台浅草」と呼ばれるようになったのです。
仙台市電北仙台線が廃止になった1970年頃に、仙台浅草には居酒屋やスナックといった、夕方から営業するお店が出始めるようになります。以降、居酒屋やスナックのお店が仙台浅草の中心となり、昼間に営業するお店は数軒にまで減少しました。時代が経つにつれ、店主の高齢化に伴って来店客の年代も上がり、次第に仙台浅草の人通りは減っていきました。横丁にある店舗の3分の1にあたる、約10軒が空き店舗になるなど、仙台浅草の活気は失われていってしまったのです。
しかし、2011年3月11日に起こった東日本大震災をきっかけに、仙台浅草は変わります。
震災を転機に、
老若男女が楽しめる魅力的な横丁へと変身。
東日本大震災の後、「仙台浅草に店を開きたい」と、若い飲食店店主が手を挙げたのです。ほかの地区で被災したり店舗が取り壊されたりした若手店主たちは、再出発を図るために、どんどんと仙台浅草に出店しました。
JRと地下鉄の駅が近いことによる利便性の良さや、高層マンションが増えて人口が密集しているという、北仙台の「地の利」が功を奏したのです。約10軒あった店舗のうち1軒は除いて、すべて飲食店で埋まりました。それまでは居酒屋やスナックが中心だった仙台浅草に、ダイニングバーやもつ鍋屋、韓国料理屋などが増え、若い人が訪れるようになりました。
そのお店のほとんどが、店内の様子が見える外装にすることで、誰でも気軽に入れることを強調しています。かつては中高年の常連客しか訪れなかった仙台浅草は、客層が若返ることで、週末を中心ににぎわいを取り戻したのです。
むかしながらの中高年の憩いの場になっているお店と震災後に新しく加わった新進気鋭のお店は、それぞれの良さを守りつつ助け合うことで、まちの発展に貢献しています。北仙台に訪れた際には、多様なお店が立ち並ぶ、魅力的な仙台浅草に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
- みどころポイント!
- 「むかし」の良さが残るまちは、誰でも楽しめる魅力がいっぱいです!
北仙台エリアには、仙台浅草をはじめとする、「むかしながら」の良さをそのまま残したお店が軒を連ねています。そのほかにも、歴史的に重要なスポットがあり、歴史の息吹も感じていただけます。震災を乗り越えて、にぎわいを取り戻しているまち・北仙台。どなたにも楽しく過ごしていただける魅力があふれています。